ネックさんの動画でよく見る昔のボディビルダーの中に、眼鏡をかけた特徴的な方がいました。
彼の名前は、「Nasser EL Sonbaty(ナッサー・エル・サンバティ)」。眼鏡をかけた知的な見た目とはかけ離れた、異次元の筋肉を持っています。実は彼は90年代にオリンピアで大活躍したボディビルダーなのです。
彼について気になる情報をみていきましょう。
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Nasser EL Sonbaty(ナッサー・エル・サンバティ)
彼はボディビル史に残る巨大なボディビルダーとして知られています。彼のプロフィールを見てみましょう。
名前 | Nasser EL Sonbaty(ナッサー・エル・サンバティ) |
生年月日 | 1965年10月15日 |
身長 | 183㎝ |
体重 | 120-130㎏(オン) |
大学 | University of Augsburg(オーガスブルグ大学) |
ナッサーは1965年にドイツで生まれた、身長183㎝体重120キロ超えの巨大なIFBBプロのボディビルダーです。過去かなりの数のコンテストに出場しており、Mr.オリンピアではトップ5に何度も入賞しています。
彼の特徴は、歴史的に巨大な身体を持っていながら美的なバランスも所持していたという点です。そして、彼のトレードマークは、トレー二ング中もかけていた丸眼鏡。そして、「Professor(教授)」とも言われるほどの知的な側面です。
生い立ち
彼は、ドイツ生まれでありながら父親はエジプト人、母親はユーゴスラビア人という家系で生まれました。コンテスト時の国籍はユーゴスラビア。
ナッサーがトレーニングを開始したのは、幼いころに行っていたサッカーの補強の一環としてでした。その当時はボディビルにはむしろ嫌悪感を抱いており、巨大な身体と血管が嫌いだったと発言しています。しかし、自身の身体のポテンシャルを指摘された時、彼は真剣にトレーニングを開始しコンテスト出場を目指すようになりました。
さらに勉学にも励んだ彼は、大学まで進学。政治学・歴史学・社会学などを学びコミュニケーションについても能力を向上させたことで、彼は「Professor」と呼ばれるようになるのです。
成績
ナッサーは1990年にIFBBプロカードを獲得。1994年に初めてオリンピアに出場し、7位になりました。そこからオリンピアで優勝することはできなかったものの、彼の快進撃は続いていきます。
1994年 | オリンピア7位 |
1995年 | オリンピア3位 |
1996年 | オリンピア3位 |
1997年 | アーノルドクラシック2位 |
1997年 | オリンピア2位 |
1998年 | オリンピア3位 |
1999年 | 優勝 |
1999年 | オリンピア6位 |
これらの成績は、ナッサーのたった一部にすぎません。ヨーロッパプロの優勝など、他の数々の大会で良い順位を収め、アーノルドクラシックでも優勝を収めた彼は2005年までプロコンテストに出続けました。
しかし、結局最後までMr.オリンピアの称号を得ることは叶わなかったのです。それが「無冠のMrオリンピア」と呼ばれる所以なのですね。
エピソード
彼のエピソードとして知っておくべきなのは、1997年のオリンピア最高成績2位という結果についてでしょう。
1997年、優勝したのは「ドリアン・イエーツ」。しかし、全盛期を過ぎたドリアンの身体に対し、完成度で上回っていたとされていたのがナッサーエルサンバティでした。しかし、結果はナッサーが2位。
これを受けてファンの間でも論争が激化。この年はナッサーが優勝していたのではという意見が多かったようです。
また、ナッサーがドリアンに対して、「全身筋断裂を起こしていたひどいプロポーションだった」と批判しており、悔しい思いがうかがえます。
若くして急逝
そんな伝説のボディビルダー「ナッサーエルサンバティ」は、2013年3月20日に47歳という若さで亡くなってしまいました。
原因は、心臓病と腎不全の合併症だと言われています。特に激しいトレーニングと減量を繰り返すプロボディビルダーは、心臓や血管への負担により若くして亡くなることが非常に良く見られます。ナッサーもその例外ではなかったのでしょう。
まとめ
ナッサーは巨大で美的な圧倒的な身体を持ちながら、ドリアンを筆頭に90年代の最強ボディビルダーたちによってMr.オリンピアを手にすることが無かった、時代と運に恵まれなかった最強ボディビルダーだと言えます。
ただ、彼の特徴的なルックスや性格、圧倒的な筋肉は後世にも語り継がれることでしょう。